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はしごライブVol.3
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    2006年開催。ミュージックライン千住 Vol.3 『甚六屋トリビュート』

     

    ポスター

     

    チラシ

     

    ミュージックライン千住Vol.3(2006.3.18〜19)JINROKUYA Tribute

     

    かつてとんでもない酔っ払いのマスターがやっている「甚六屋」というお店が千住にありました。
    音楽好きの集まる小さな小さなお店です。
    夜通し語り合ったり、演奏したり、大音量のレコードに合わせて踊りまくったり、時にはプロのミュージシャンもよく客としてやってきました。
    そしてある日知ったのです。
    70年代から80年代にかけて東京下町で唯一のライブハウスだったことを!
    その時代のエポックな人たち、高田渡、、友部正人、三上寛、遠藤賢司、森田童子、友川かずき、なぎらけんいち、他にもたくさんの人たちがその場所で、熱い演奏を繰り広げたのでした。
    アマチュアだったバンドを店でライヴレコーディングし、プロデビューさせたこともありました。
    「たま」のメンバーが雑誌"ぴあ"で自分の忘れられない場所として「甚六屋」を挙げていて、びっくりした憶えがあります。客として通いつめていて、メンバーと出会った所なのだそうです。
    確認はしていないのですが、金八シリーズで不良の溜まり場になっているライヴハウスの名が「JINROKUYA」だったという話も聞いたことがあります。
    たまたま知り合った横浜を拠点とするプロミュージシャンは、偶然にも当時の「甚六屋」出演者で、当時駆け出しの自分はここで育てられたと、十数年ぶりに千住を訪ねてくれました。
    そのとき再会したマスターの言葉は振るっていました。「育てた覚えは無い、気に入ってたから出しただけだ」
    それももう16年前の話です。
    突然のマスターとの別れから早6年、その意志は必然的にいろいろな形になって受け継がれていると思います。
    ミュージックライン千住もそのひとつであることに間違いはありません。
    そこで七回忌にあたる今年3月のミュージックライン千住Vol.3は「甚六屋トリビュート」として亡き先駆者にリスペクトを込めて開催したいと思います。
    これは個人へのオマージュではありません。過去から現在、そして未来への橋渡しのためのものです。
    ゆかりのミュージシャンも多数出演いたしますので、こうご期待ください!

     

    ミュージックライン千住実行委員会

     

    【資料】

    甚六屋年表序章

     

     夢来館〜甚六屋へ1972.8情報誌「ぴあ」創刊映画・演劇・音楽の初の総合ガイド誌として月刊で創刊された。編集スタッフの平均年齢は23.5歳という若さ、準備期間半年以上を費やしたそうである。編集後記には、いつか都内版だけでなく全国版をと、スタッフの強い意志が見て取れる。まだライヴハウス全般としての掲載は無く、コンサート以外は「生演奏の聞けるジャズ喫茶」という形で紹介されている。その頃の島津貫司(後の甚六屋マスター)は青山学院大学の学生で、地元綾瀬の仲間が集まった音楽サークルのようなものの中心にいた。少なくとも月に一度は公民館などのホールを借り、精力的に音楽イベントを催していたのだった。メンバーは高校生や社会人もいたようである。現在、松戸を中心とした音楽イベント「E-JAM」を主催する島田氏もその中の一人で、まだ高校生であった。そして、メンバーのほとんどは自らが楽器を演奏した。そうした活動を数年続けた挙句、なんと、自分たちが住んでいた「松よう荘」というアパートの一室を、大家さんを説得してライヴハウスに改造してしまったのだ。このライヴハウスこそが「夢来館」(むらいかん)である。1階角部屋、わずか六畳の広さ。エレキベースなど苦情が来そうなものは押入れに入って演奏した時もあったらしい。こんな場所でもプロミュージシャンを呼んでいたのだから恐ろしい。前方の客は演奏者を見上げて観ていたそうな、マスコミにも日本一狭いライヴハウスとして取り上げられるほどであった。夢来館、甚六屋を通して出演した中川五郎さんもこの時の印象が強かったよう。まるで人の部屋に来た様だったと当時を知る人たちは語る。夢来館ポスター、イラストは当時の仲間の手によるもの

     *ポスターに書いてある文章はこうだ 「夢来館」それはあらゆる人々が気軽に利用出来る空間です。グリーンのドアを引くと、かつて見たことのない、狭いながらも居心地の良さそうな部屋があなたを待っているのです。ジャンルに囚われない音楽が部屋を包み込み、色々な町の人々から発行されているミニコミ誌があなたの目に触れるでしょう。 現在の社会で要求されているものは打算的な人間関係ではなく、赤裸々に語り合え、深い信頼の元に生まれる人間関係であろう。我々はこのスペースを主体として全ての人々に自由な形で開放したいと思う。  *以降、人間関係のトラブルも多々あったようだが、このようなコン  セプトは生涯を通じて持ち続けたのであった。1975.1そしてこうした仲間の一人が今度は、三ノ輪に「モンド」というライヴハウスを立ち上げた。喫茶店だったらしい場所を利用したこのライヴハウスは、かなり広いスペースで設備も本格的なものだったらしい。開店当初こそ「夢来館」系のフォーク色が強いが、すぐにロック色の強いものになる。今見ると、そうそうたるメンバーが出演していて驚かされる。このような店が下町「三ノ輪」にあったとは!

    ※当時の「ぴあ」に基づく三ノ輪「モンド」 1975年1月のスケジュール

    ドリンク+ショーチャージ(200〜400円) 6:30〜 

    1/18 (オープン) 高田渡 

    1/19   2:00〜: 友部正人      6:00〜: 田代友也 

    1/20  シバ/じんじろう 

    1/21  三上寛 

    1/22  林亭+大熊秀和+1 

    1/23  オレンジ・カウンティー・ブラザース/松本みどり 

    1/24  田代友也+凧 1/25  神無月 

    1/26  2:00〜: 凧/ジャック・ハイ      6:00〜: センチメンタルシティーロマンス/いとうたかお

    1/30  丸山祐一(トム)+雷 

    1/31  マッチボックス・オリジナル・セッション  三ノ輪「モンド」 

     

    1975年5月のスケジュール  前売 800円  当日 1000円 6:30〜  

    5/1〜2  ウエストロードB・B 

    5/3   2:00〜: ウィーピングハープ・セノオ&ヒズ・ローラーコースター     6:00〜: ウェストロードB・B 

    5/4   2:00〜: アマチュアコンサート      6:00〜: 異邦人 

    5/5   2:00〜:  音づれ草コンサート      6:00〜: 演劇「黙示体公演」 

    5/6   大塚まさじ+いとうたかお 

    5/7  オレンジ・カウンティー・ブラザース 5/8  オレンジ・カウンティー・ブラザース 

    5/10  ウエストコースト・デー 5/11  2:00〜: センチメンタル・シティーロマンス      6:00〜: めんたんぴん 5/12  パワーハウスB・B 

    5/13  友川かずき 

    5/14  ファッツボトルB・B 

    5/15  カルメン・マキ&OZ 

    5/17  頭脳警察 

    5/18  2:00〜: 愚霊巣      6:00〜: 頭脳警察/ファッツボトルB.B          

    5/19  ファッツボトルB・B 

    5/20  キャラ/ぎんぎん 

    5/21  エンプティ・ボトル/丸山拓一&スーパーオリジナルバンド

    5/22  めんたんぴん+入道 

    5/23  中川イサト/中川たかし 

    5/24  ルージュ 

    5/25   2:00〜:  あんぜんBUND      6:00〜: 裸のラリーズ 

    5/26 アマチュア・オリジナル発表会 

    5/28 パワーハウスB.B/大木トオル(予) 

    5/29 飛べないアヒルコンサート 

    5/30 佐渡山豊 

    5/31 音と映像の世界/コスモス・ファクトリー 三ノ輪「モンド」 

     

    1975年7月のスケジュールドリンク+チャージ(200〜700円) 6:30〜 アマチュアバンド募集中

    7/1  アーカムハウス/俄 

    7/3  桑名正博&デイリープラネット 

    7/4  山岸潤史グループ(予) 

    7/5  あんぜんBUND 

    7/6  2:00〜: イエロー      6:00〜: 高田 渡 

    7/7 ハリマオ 

    7/9 つのだひろ&スペースバンド/ボビー&リトルマギー

    7/10 オレンジ・カウンティ・ブラザース 

    7/11 佐渡山豊/下村明彦 

    7/12 金子マリ&バックスバニー 

    7/13  2:00〜: 外道      6:00〜: コスモスファクトリー 

    7/14 ファッツボトルB.B 

    7/15 甲斐バンド 

    7/16 めんたんぴん 

    7/17 頭脳警察 

    7/18 三上寛+異邦人 

    7/19 豊田勇造 7/20 2:00〜: アマチュア・デー      6:00〜: 中山ラビ/山下成司 

    7/22  柳ジョージ&レイニーウッド 

    7/23  柳ジョージ&レイニーウッド 

    7/24  クリエーション 

    7/25  古田甚一/丸山拓一/中川たかし 

    7/26  ウィーピング・ハープ・セノオ&ヒズ・ローラーコースター

    7/27  2:00〜: センチメンタル・シティーロマンス      6:00〜: ウエストロードB.B 

    7/28  ウエストロードB.B 

       

    *関西方面のミュージシャンも結構出ている、わざわざ呼び寄せた!?  

    他の場所とのパッケージだとは思うがウエストロードB.Bなどは連日で の出演である。 

    1975.7 夢来館の「ぴあ」初登場は1975年7月号からである。

    ※当時の「ぴあ」に基づく綾瀬「夢来館」 

    1975年7月のスケジュール  ドリンク+ショーチャージ(100〜400円) 7:00〜 

    7/2   SIMPLE MUSIC 

    7/5   中川五郎 

    7/9   中島たずお 

    7/12  古田甚一 

    7/16   フィルムギャラリー「宮村砂生郎」他 

    7/19   多田団吉 

    7/23   雷 7/26  

    友川かずき 

    7/30 田代友也/メロン・ハウス      

     

    1976.2頃 そしてとうとう島津貫司は、夢来館を飛び出し、北千住、区役所前にライヴハウス「甚六屋」を立ち上げるのである。夢来館の方はというと、仲間や常連客など数名が代わる代わる店長を務め数ヶ月間存続したが、その後は閉店している。開店当初の甚六屋店内

     

     

    第一章 : ライヴハウス甚六屋 上巻

     

    元、足立区役所斜め前(消防署前)の細い道をちょっと入った所の、紀の国屋ビル3階にオープンしたライヴハウス”甚六屋”
    残念ながら営業を開始した正確な日付ははっきりしないが、「ぴあ」初登場は4月号からである。
    まだ連絡先が綾瀬「夢来館」になっているところを見ると前月の3月がオープンだったのかもしれない。

    1976 . 2 頃

     

    ドリンク+チャージ(100〜500円)PM7:00〜  
    4/9 南正人 / 古田勘一
    4/14 佐久間順平 / 中川たかし
    4/17 フィルムギャラリー(3人展)
    4/21 新人コンサート(募集中)
    4/24 トド / ぎんぎん
    4/28 野沢亨司

    北千住「甚六屋」1976年4月のスケジュール

    ※当時の「ぴあ」に基づく

     

    この時、甚六屋、島津貫司と深い関わりを持つようになるブルースバンド「ぎんぎん」が登場している。最初の出会いがこの時だったかどうかは定かではないが、そのパフォーマンスを目の当たりにした島津は、まだ駆け出しのこのバンドのマネージャーを自ら買って出たのである。

     

    北千住「甚六屋」1976年5月のスケジュール

    ※当時のチラシ

     

    次の月、お店にやっと電話が入った。最低料金が100円値上げの200円、時間も30分繰り上げられ、何かと試行錯誤が伺える。
    この頃のライヴハウスのチャージの相場は500円前後、PIT−INなど高いところで1000円である。大抵はドリンク付。
    ちなみにホールコンサートの相場は1000円前後、外タレなどは2000円ちょっとであった。
    ミュージックライン千住ol.3の出演が決まっている、夢来館にも出演いていた「中川五郎」が初登場!

    ドリンク+チャージ(200〜500円)PM6:30〜  
    8/1 4:00〜 ラストショー
    8/5 田舎芝居
    8/6 いとうたかお
    8/8 浅野由彦 / 丸山拓一
    8/10 友部正人
    8/12 友部正人 / 中塚正人
    8/13 金森幸介
    8/14 佐渡山豊
    8/15 北炭生 / 友川かずき
    8/20 よしこ / 朝比奈逸人
    8/21 瀬戸口修 / 山田正子
    8/22 アンクル・ムーニー / 中川たかし
    8/27 南正人
    8/28 南佳孝&ハーバーライツ
    8/29 新人コンサート / ゲスト 羽丘じん
    8/31 森田童子

    北千住「甚六屋」1976年8月のスケジュール

    ※当時の「ぴあ」に基づく

     

    横浜から、当時まだ珍しかったジャグバンド、ムーニー率いる「アンクルムーニー」の初登場である。
    ジャグバンドとは洗濯板のパーカッションに、タライにモップの柄のついた、またはボトルの口に息を吹きかけるベースの、ニューオーリンズなバンドの事。(よくわからないか。。。)
    「アンクルムーニー」は島津の特にお気に入りのバンドのひとつであった。
    そして瀬戸口修は前月7月が甚六屋、初登場である。
    両者とも今回のミュージックライン千住Vol.3に出演が決まっている。
    なんとVol.0に出演の「南佳孝」も、ぽい感じのバンドを率いて出ていたのだ!

     

    ドリンク+チャージ(200〜600円)PM6:30〜  
    11/2 浅野由彦 / 中塚正人
    11/3 友部正人
    11/5 フィルムコンサート 「夕焼け楽団、シーチャンBr 他」
    11/6 芝紀美子&ニュー・ラグタイム・ボーイズ
    11/7 高田渡&ヒルトップ・ストリングスバンド
    11/11 古田勘一 / KEEBOW
    11/12 森田童子
    11/13 ぎんぎん
    11/14 5:30 田舎芝居
    11/19 佐渡山豊
    11/20 フィルムギャラリー
    11/21 宿屋の飯盛
    11/22 羽丘じん
    11/23 5:00 あんぜんBAND
    11/24 エド
    11/25 中川五郎 / とめ
    11/26 新人コンサート(募集中)
    11/27 友川かずき
    11/28 5:00 ウィーピングハープセノオバンド

    北千住「甚六屋」1976年11月のスケジュール

    ※当時の「ぴあ」に基づく

     

    ビデオの普及した今では考えられないかもしれないが、当時フィルムコンサートというのはよく開催された。かく言う私も隣の墨田区でこの頃、公民館など借りて催すロックフィルムコンサートなるものの手伝いをしていた、まだ中学生だった。
    しかし甚六屋でのフィルムコンサートは海外物もあったにはあったが、主に国内アーティストだったのがひねくれているというか面白い。
    そしてバンド物も結構出演している。狭いながらもドラムが平気で入っていた。この前月などはなんとフュージョンバンドの「プリズム」が出演している!
    ミュージックライン千住Vol.1出演の「ウィーピングハープ妹尾」の名が見られる。

     

    ドリンク+チャージ(200〜600円)PM6:30〜  
    12/3 いとうたかお / 丸山拓一
    12/4 さかうえけんいち
    12/5 古川豪
    12/7 朝比奈逸人 / 佐久間順平
    12/9 森田童子
    12/10 シバ&ザ・キャンディーメン
    12/11 KEEBOW / とめ
    12/12 アンクル・ムーニー・ジャグバンド
    12/14 友部正人
    12/15 芝紀美子&ニュー・ラグタイム・ボーイズ
    12/17 フィルムギャラリー
    12/19 佐渡山豊
    12/20 高田渡&ヒルトップ・ストリングスバンド
    12/21 瀬戸口修 / きくち寛
    12/23 羽丘じん
    12/24 新人コンサート(募集中)
    12/25 ぎんぎん
    12/26 5:00ウィーピング・ハープ・セノオバンド
    12/28 友川かずき
    12/31 5:00〜11:00 ’76ラストコンサート/飛入歓迎/スペシャルゲスト多数出演(終夜営業)

    北千住「甚六屋」1976年12月のスケジュール

    ※当時の「ぴあ」に基づく

     

    今回のミュージックライン千住Vol.3出演の「さかうえけんいち」甚六屋初登場!他に同じく今回出演のムーニー、瀬戸口修、ぎんぎんの名が見える。
    それにしてもいったいどんな年越しだったのであろう?

    この頃、北千住には数件の映画館があり、芝居小屋のような?今で言う多目的ホールのような場所もあったらしい。
    繁華街には大きなキャバレーなどもあり、何気に浅草に次ぐ下町の文化都市であった。

     

    北千住「甚六屋」1977年2月のスケジュール

     

    当時のチラシ、今で言うフライヤーは殆どどこも手書きであった。しかもコピーや印刷などは高いのでガリ版刷り、今には無い「温もり」と「匂い」を感じる。
    今回のミュージックライン千住Vol.3出演の「江口晶」甚六屋初登場!

    ※当時のチラシ

     

    1977 . 2

     

    北千住「甚六屋」1977年7月のスケジュール

    ※当時のチラシ

     

    この月は甚六屋にとってエポックメイキングな出来事があった。マスター島津貫司がマネージャーを買って出たブルースバンド「ぎんぎん」のレコードデビューである。
    彼はこのために奔走し、メジャーなビクターからの発売となった。
    「夢来館」からの仲間であるヒロミ氏を伴いビクター本社に出向いたとき、島津は裸足にサンダル履きで、こっぴどく怒られたそうだ、彼らしいエピソードである。
    下巻ではこの「ぎんぎん」の仰天レコーディングエピソードから始めるとしよう。

     

     

    第一章ライヴハウス甚六屋  下巻

    1977 . 7

    甚六屋マスター、島津貫司が見初め、マネージャーを買って出たバンド「ぎんぎん」。
    メジャーなビクターからのレコードデビューとなり、そしてなんとそのレコーディングの一部を甚六屋で行うということになった。
    LPの中の数曲がライヴというのはその当時ではかなり変則的なものだったが、ライヴバンドである彼らを生かすにはうまい手段だったと言える。

    レコーディング当日の様子はこうだ。
    持ち込んだレコーディング機材は一階に続く階段のところまでいっぱいで、知らなかった客は何事かと思ったそうだ。
    そしてなるべく音を出さないようにと促された、拍手までもである。
    その日、大胆にもラジカセを持ち込んで録音した人のテープを聞かせてもらったが、演奏中は異様なほど静寂しており、まるでスタジオのよう。曲が終わった後の拍手すら遠慮がち、逆にやりにくかったのではと思う。
    だが後半は両者の固さも抜け、いい雰囲気になっている。
    LPの10曲中、6曲にその録音が使われている。
    残念ながらレコーディング日は定かではない。

    デビューアルバム「側車」、その当時日本語で歌う本格的アコースティックブルースバンドとして、関西の憂歌団と比較されたこともあった。

    裏ジャケ

    「甚六屋」表記
    THANKS TO 島津貴司とある、誤字である。

    そして晴れてのレコード発売記念コンサートを1977年7月25日(月)に行った。
    この年の大晦日、年越しライヴも「ぎんぎん」が単独でつとめている。

    当時の甚六屋、「ぎんぎん」のライヴの様子

     

    ドリンク+チャージ(200〜600円)PM6:30〜  
    11/8 高田渡&ヒルトップストリングスバンド
    11/9 羽丘じん
    11/10 田中研二/とめ
    11/15 津和のり子
    11/16 アンクル・ムーニー
    11/17 フィルム・ギャラリー
    11/22 さかうえけんいち/瀬戸口修
    11/23 ぎんぎん
    11/24 橋本俊一
    11/29 南正人
    11/30 友部正人

    北千住「甚六屋」1977年11月のスケジュール

    ※当時の「ぴあ」に基づく

    1977 . 11

     

    昨年に他界した「高田渡」もこの頃の常連出演者である。
    MLSに今回「金子マリPresents 5th Element Will」として参加する大西真は(連続3回目!)中央線方面に住んでいたにも関らず高田渡を何度か見に来ていた。お酒を一緒に飲んだ思い出があるそう。
    この頃のまだ名前が上がっていない主だった常連出演者は「友部正人」「友川かずき」「南正人」「三上寛」「津和のり子」「森田童子」など。
    友部正人は週に2回の出演という時もあった。
    友川かずき、南正人、三上寛は「夢来館」からの出演。
    津和のり子は最後のほうまで盛んに出演していた。
    森田童子の時は本当にたくさんの客が来たと生前、島津は言っていた。嫌になって呼ぶのを止めたとも?!
    そしてマスター島津は図々しくも多くの出演者の演奏にしょっちゅう飛び入り参加していたそうだ。

     

    1978 . 6

    ドリンク+チャージ(200〜600円)PM6:30〜  
    6/1 中川五郎/青木とも子
    6/8 KEEBOW
    6/15 「町から町へ」さかうえけんいち/瀬戸口修
    6/22 津和のり子
    6/29 アンクル・ムーニー

    北千住「甚六屋」1978年6月のスケジュール

    ※当時の「ぴあ」に基づく

     

    フォークと言うにはちょっとモダンな感じのKEEBOWも島津お気に入りのシンガーだった。
    7人中4人が今回のミュージックライン千住Vol.3の出演者だ。
    さかうえが始めたイベント「町から町へ」は、なんと30年近くたった今でも、江口晶が名古屋で経営する「ぷらすわん」で続いているのだ!

    甚六屋の特徴のひとつに音響の良さがあった。
    マスター自身、オーディオマニアではあったのだが、開店当初から店にはそぐわない大きくて高価なアルテックのA7スピーカーが鎮座していた。
    結婚した時の支度金で買ってしまった物だそうだ。ずっと後になってからも自慢げに語ってくれ、飲み横の甚六屋になってからも、亡くなった後も狭い店内に当たり前のようにそれは鎮座していたのだった。

    このぐらいから極端にライヴの数が減っている。
    はっきりした月はわからないのだが、島津は綾瀬時代の仲間の尾口氏に声をかけ、店を手伝ってもらい、自身は新たにお店を出すことにしたのだ。
    新たな店というと聞こえはいいがライヴハウスではなく、普通の飲み屋で、実は生活の為だったらしい。
    その店の名を「ロンシャン」と言う。
    詳しくは次の章で触れるとして、この翌年からは尾口氏に権利を譲り、ライヴハウス「甚六屋」からは完全に手を引いている。

    1979 . 1 頃

    権利を譲り受けた尾口は、今までとは違うコンセプトのもと新「甚六屋」をスタートさせる。
    それはもっと誰もが自由に参加でき、ジャンルにもこだわらない、そして新しい可能性を育てていくと言うものだった。
    それまでの常連の中には極端な変化に戸惑い、去っていった者もいたが、新たな人たちも集まってきたのである。
    それは以外にも、地元千住界隈の人間ではなく、ちょっと離れた地域の若者たちだった。
    その頃の数少ない情報誌「ぴあ」「シティーロード」に掲載されていたことが大きかったのかもしれない。

     

    ドリンク+チャージ(0〜600円)PM6:30〜  
    5/2 鷹魚剛/丸山拓一
    5/3 ちゃんがら/春秋楽団
    5/9 守沢鷹と卍コオロギ
    5/10 やぎとハモニカ
    5/16 野沢亨司/黒須裕
    5/17 新人コンサート 募集:出演バンド、飛び入り
    5/23 瀬戸口修/黒川つねみ・バースデーコンサート
    5/24 佐藤まさみ(ガットギター)&植竹哲郎(b)
    「これがDuoだ!」
    5/30 北方義広(元ちゃんちゃこ)
    5/31 津和のり子

    北千住「甚六屋」1979年5月のスケジュール

    ※当時の「ぴあ」に基づく

     

    これを見ていただければわかると思うが、顔ぶれがだいぶ変わっている。
    甚六屋、創設当初にあった「新人コンサート」が復活している。
    それに伴って、チャージが¥0からになっている。ちなみに島津の時は¥200。
    佐藤正美と植竹哲郎はフュージョンバンド、元「カリオカ」のメンバー。
    佐藤正美はその当時お店のすぐ裏に住んでいて、しょっちゅう遊びに来ていたそうだ。
    ライヴの時もパジャマ姿で現れていたらしい。ソロの出演も多いが、変わった組み合わせも多かった。この前月などは、客仲間がつれてきた’つづみ’奏者と狂演?している。
    植竹哲郎はその後の飲み横時代まで、客として大常連であった。私が始めて甚六屋に行った時も彼は居て、’何か演奏してみな’と言われた思い出がある。もちろん期待にお答えして今日がある??!

     

    ドリンク+チャージ(0〜600円)PM6:30〜  
    10/12 さかうえけんいち/江口晶
    10/16 ”アコースティック・ロックの狂演”
    サスケローリング・バンド/春秋楽団
    10/17 4ビートジャズ  出演:谷川賢作(p),高山近志(g),杉山茂生(b)
    10/18 ”汽車がゆっくり入ってくる” 高橋秀樹
    10/19 なぎらけんいち
    10/23 荒井沙知
    10/24 羽丘じん
    10/25 生田敬太郎
    毎週月曜日そのう・ニューディスク・コンサートあり。チャージ無料。
    ※イベント、貸しホール及びコンパ、他受け付けます。

    北千住「甚六屋」1979年10月のスケジュール

    ※当時の「ぴあ」に基づく

     

    毎週のレコードコンサート、「そのう」とは北千住にあったレコード屋のことである。
    そこの協力を得て新譜のレコードをかけていた、一種のジャズ喫茶状態。
    今回のミュージックライン千住Vol.3に出演の「なぎらけんいち」の名が見える。
    島津時代から出演していたようで、彼の座った後の天井にはたくさんのタバコのフィルターがくっついていたそうだ。
    出演してくれた中で、なぎらが一番ギターがうまかったと島津は生前語っていた。
    ジャズ系も定期的に出演し始めた。だが島津の頃と傾向が重なってる部分もまだこの頃はある。

     

    1980 .5 頃

    ドリンク+チャージ(0〜700円)PM6:30〜  
    5/23 北方義朗 600円
    5/24 一人芝居「棒をのんだ話」作:石原吉郎  出演:藤野浩  料金カンパ
    5/29 チェロとギターの狂宴  出演:伊藤耕司(vc),佐藤正美(g)  600円
    5/30 たかはしひでき  500円
    5/31 新人コンサート  出演者募集(飛び入りOK) ドリンクのみ
    6/5 葵まつり  500円
    6/6 瀬戸口修、サスケ・ローリングバンド 700円
    6/7 詩と舞踏〜黒い炎群座その4  
    出演:西田さき、他   料金カンパ
    毎週月曜日そのう・ニューディスク・コンサートあり。チャージ無料。

    北千住「甚六屋」1980年5月のスケジュール

    演劇系も多くブッキングされるようになる。
    この後ぐらいから、「たま」のメンバーも常連客だったらしい。
    新人コンサートにも出ており、甚六屋で知り合った者を中心にあの「たま」は結成された。
    ミュージックライン千住実行委員の遠藤もこの頃’新人コンサート’に出演している。

    ※当時の「ぴあ」に基づく

     

    ドリンク+チャージ(0〜600円)PM6:30〜  
    12/5 津和のり子 600円
    12/6 甚六寄席  出演:千住落語会  オーダーのみ
    12/11 丸山拓一/くま  500円
    12/12 YOTA/尾藤和美  400円
    12/13 詩と舞踏「黒い火群座その6」
    出演:西田サキ、尚なお子、シェリー怜 
    料金カンパ
    12/15 ウインク  400円
    12/16 鈴木正雄+小林一美 400円
    12/17 たかはしひでき 500円
    12/18 サスケローリングバンド 500円
    12/19 ラリー・フラムソン 500円
    12/20 シトロン、他  400円
    ※15〜20日 飯田聡写真展「太陽の絵」あり
    毎週月曜日そのう・ニューディスク・コンサートあり。チャージ無料。

    北千住「甚六屋」1980年12月のスケジュール

    ※当時の「ぴあ」に基づく

     

    定期的に「甚六寄席」と称し落語会が開かれていた。写真展も行われている。
    何でもありのコンセプトがよく現れている。

    残念ながら雑誌「ぴあ」の資料はここまでしか入手できなかった。
    それでは、その後ライヴハウス「甚六屋」はいったいどうなったのか?

     

    1981 . 8

    この翌年1981年の夏、店内を大改装する。
    それぞれの各得意分野のお客が集まり、夏休みを利用してのものだった。
    防音を整え、内装に手を加え、音響設備を組みなおし、ライヴハウスらしく出入り口に受付を設けた。
    そして徐々に新人コンサートが主体となっていくのである。

    尾口自身、これほどアマチュアの人間が発表の場を求めてるのかと驚き、そういう人たちにちゃんとスポットライトのあたる場を提供したいと考えたのだ。
    まだストリートミュージシャンなど認知されていない時代、月に2回ものペースで新人コンサートは実施されるようになる。
    月2回でも20人ぐらいの出演者が毎回来たのだった。
    多い時などは一階に続く階段にズラっと30人以上並んだそうだ。そんな時は各自せいぜい1、2曲の演奏、だがその為に皆集まるのだ。
    そして女性の数も多かったらしい、女性限定の日もあったぐらいだ。
    面白いことに参加者のほとんどは足立区界隈ではなくちょっと離れた地域からの者がほとんどだったようだ。

     

    1984 頃

    新しい人材を発掘すべく続けてきたのだが、いかんせん商売としてはかなり厳しい状況だったようだ。
    そして時代の風潮もアコースティックなものからテクノロジーなものへと変化し、もはや継続するのは不可能と尾口は判断した。
    そしてある日、店の仲間連中に閉店することを告げたのだった。。。

    閉店することを知ったその仲間たちは何とか「甚六屋」を存続させようと、代わる代わる日替わりで店の切り盛りを買って出たのである。
    水商売の経験も無いような連中が、料理を習ったり、見よう見まねで酒を作ったりと頑張ったのだ!
    しかし結局誰しもが、これでは続けていくことができないということを身をもって知らされたに過ぎなかった。
    だがこの事は、尾口にとって、かけがえの無い出来事だったようだ。


    そしてこの年ライヴハウス「甚六屋」は島津時代も含め、約9年間の歴史に幕を閉じるのである。

     

     

     

    第二章 : ロンシャン、そしてホンキートンク

    元、足立区役所、千住警察の道を真っ直ぐ、大踏み切りを渡ったすぐ左手に「ロンシャン」はあった。
    写真は現在の様子、建物が数年前に建て替えられてしまいビルになっている。
    ただ隣の店と外観の雰囲気はちょっと似ている。



    面白いことに当時関係者に聞くと、ライヴハウスでなくなったこの店の時が一番、音楽が鳴っていたそうである。
    夜も更けてくると、だれかれともなく生演奏が始まり皆で騒いだ。
    甚六屋に出演したミュージシャンがそのまま顔を出すこともしばしば。
    今回ミュージックライン千住Vol.3出演の「いちかたいとしまさ」とその仲間たちもよく顔を見せ騒いでいたそうだ。
    彼は甚六屋の初期の「新人コンサート」出演以来の関わりで、以後お店が変わってもたびたび来店してはギター片手に歌っていたのだった。

    よく常連の昔話などで出てくるのはこの頃のことが多く、本当に自由な空気が流れていたらしい。
    店内には誰が持ってきたのか番傘などがインテリアとしてあり、ローラースケートが流行れば皆で店の周りで遊び、早めの時間には学生服の女子高生まで来ていたそうだ。(一人で来る女性のお客も意外と後々まで多かった。)
    ライヴハウスでなく飲み屋になったせいもあるのか、この時からの関わりの人も結構多い。
    ただご多分にもれず常連客のほとんどが大の音楽好きであった。

     

    1979 . 12 頃

    数年「ロンシャン」をやったあと、今度は場所を常盤通り(通称、飲み横)に移し、名前も「ホンキートンク」とした。
    このお店はピンサロの上の3階というすごい立地の場所にあった。
    似たような立地のライヴハウスで思い出されるのは昔のあの、渋谷「屋根裏」であろう。
    だがこの「ホンキートンク」は残念ながらライヴハウスではなく、「ロンシャン」と同じ飲み屋としての営業であった。

    「ホンキートンク」店内の見取り図。


    この絵からもわかるようにかなり広い。
    スピーカーはライヴハウス時代に使っていたアルテックの巨大なもの。
    (すでに尾口氏のライヴハウス「甚六屋」はこの同じ年に閉店していた。)
    がらんとした雰囲気だったとよく聞いたが、場所が場所だけに客は少なかったらしい。、ただ隠れ家的でひいきにする人も中にはいたようだ。
    カウンターは使われなかったのだが、なぜか一人もしくは少人数の客がほとんどで、バルコニーなどでもくつろいでいたようである。
    往年のジャズ喫茶のような雰囲気だったようだ。
    このレイアウトや広さを見ると、再び本格的ライヴをやることを念頭にここへ移ったのは明白である。
    実際一度、いちかたい氏のバンドが機材を持ち込んでライヴを行なったことがあるそうだ。
    なぜ定期的にライヴをやらなかったのか?
    苦情問題か、集客か、はたまたプライドか?それは今となってはわからない。。。
    ただ子供が二人できた為か生活はかなり厳しく、昼間は鰻やで出前のバイトをしていた時期もあったと生前語っていた。



    頑張って続けてきたこの「ホンキートンク」も残念ながら約3年で店を閉めている。
    皮肉にもこの約1年後、甚六屋常連だった「たま」などによる空前のバンドブームがわき起こる。

    そして島津はこの店のちょうど真向かいに再び、新たな店を構えるのである。
    なんとその名は「甚六や」!

     

     

     

    最終章 : 再び甚六や

     

    元「甚六や」の現在の様子、インド料理屋になっている。
    内装はだいぶ手を加えられ綺麗になってはいるが面影は残っている。

    ここに移ってからは一階で狭いというせいもあるが、再び賑やかで猥雑な雰囲気が戻ってくるのである。
    名前も「甚六や」になったせいか、以前通っていた客も再び訪れることが多くなった。
    なぎら健壱も名前を懐かしがってひょっこり訪れ、たまに顔を出していたようだ。
    新しい世代のミュージシャンも何故か多く来ていたようだ。
    今回ミュージックラインに出演する野間瞳もよく訪れ、地元出身の安藤秀樹も客として何回か来ている。
    もちろん「ロンシャン」時代同様、客、マスターのセッションや大音量でレコードに合わせて騒ぐなど、相変わらずやりたい放題であった。

    私は確か1988年頃、友人に変な店が千住にあると聞き、当時住んでいた亀戸から自転車で来てみたのがきっかけだった。
    遅くに一人で行ったのだが、皆のフレンドリーさに驚いた覚えがある。
    初めて来たのに常連に促され、ギターを弾いて歌ったせいか、ただ単にみんな酔っ払いだったせいなのか、
    皆で大いに歓迎してくれ、自分もいたく気に入ってしまった。
    それからはすっかり常連になり、挙句の果て千住に移り住んでもう十数年?!

     

    1987 . 春

    自分が知っている「甚六や」のエピソードは、言える物から言えない物まで数多くあるが一部だけ紹介しよう。

    ☆ストリーキング事件
    ある日店を訪ねると、マスターと常連客2人が真っ裸になっていてた。
    そしてなぜか帽子は被っていて、鏡で一生懸命帽子の位置を整えた後、お店を出ていってしまった!
    そしてなんと15分ぐらいも戻って来なかったのだ。
    駅の周りを走ってきたのだそう、満足げにそのままのカッコでカウンターに座り、酒を飲んでいたのだった。

     

    ☆花見事件
    マスター含め常連客で浅草の墨田公園へ花見に出かけた(何年かの間は恒例になっていた)。
    そこでしこたま呑んで騒いだ挙句、置き引きまで捕まえて皆ご機嫌で帰りの東武線に乗り込んだ。
    そこで離れ離れに皆座ったにも関わらず車内でセッションが始まってしまったのだ!
    座席が埋まる程度に人はいたのだが、そんなことにはお構いなく。
    子供と外人と、そして自分たちだけが楽しそうにしていたような記憶が。。。

     

    ☆ケンカ仲裁事件
    「甚六や」でケンカが起こるのは日常茶飯事であった。
    ある日例のごとくケンカが始まり、珍しくもマスターが止めようと間に入った瞬間、変わりにパンチを浴びてのびてしまった。
    殴った客もあわてて、もうケンカどころではなく一件落着。
    後日、大きく腫れ上がったマスターの顔を肴に酒が進んだのは言うまでもない。
    それ以降、彼はケンカの仲裁に一切入ることはなかった。

     

    ☆真夜中のブルースセッション事件
    よくマスターは泥酔してくると下世話な「おま○こブルース」なるものを即興で歌う。
    ところがある日、これに対抗して女性の客が「おち○こブルース」を歌いだしたのだ!
    しかもとんでもなく下世話に。
    皆拍手喝さい、そしてマスターも歌い出しどうしようもなく卑猥な掛け合いに。
    あんな最悪なデュエットはいまだかつて出会ったことがない。

     

    ☆真夜中のディスコ大会
    これは事件でもなんでもなんでもないのだが、よく大音量でレコードをかけ、狭い店内がディスコと化すことがあった。
    後半、ライヴハウス時代の巨大ALTECスピーカーを店内に入れてから、その音量はますますエスカレート、夜中(明け方?)ということも手伝い、かなり遠方からでも聞こえたようだ。
    苦情なども日常茶飯事だったような?そうでないような。。。。

    以前の「ホンキートンク」の真向かいの一階、スナックだったお店をそのまま借り、新「甚六や」はスタートした。
    再び「甚六や」という名前にした理由は、奥さんが「尾口氏が頑張って名前を守ってくれたのだからそれに答えたら」というアドヴァイスだったらしい。
    こじんまりとしたその店は、いっけん喫茶店風、カウンター席とテーブルが3つ(後に2つ)のものだった。


     

    1993.4 頃

    自分はこの頃、同じ「甚六や」常連の飲み屋のオーナーから場所を提供してもらい、「バーボンストリート」というライヴハウスを2年間やったことがあった。
    その時いろいろ親身になってくれたのが何を隠そうマスター島津であった。
    いろいろ機材も提供してくれ、自宅の軒先に放っておいた例のアルテックのスピーカーも貸してくれた。(修理しなくてはならなかったが、)
    そしてそこに出演してもらったミュージシャンの一人が、実は「甚六屋」ゆかりのムーニーだったのだ。
    そんなことはまったく知らないで当日その話を聞き、早速ライヴが終わった後、「甚六や」に赴いたのだ。
    感慨深げなムーニーをよそに島津はいたってマイペース、とてもいい感じな二人の趣であった。
    再会した二人の握手、会話はとても印象深く、大切な記憶として今も残っている。
    それから毎回ライヴに出てもらった後は朝まで「甚六や」で一緒に過ごした、ファンの子やゲストの人たちを伴うこともあった。
    野間瞳の兄もよく出演てもらい(兄妹とは知らなかったのだが)、後に「甚六や」の大常連となる。
    常連だった"いちかたい"バンドも何回か出てもらい、ライヴ後皆で「甚六や」に繰り出したこともあった。

    しかし島津はどのライヴにも顔を出すことはなかった。
    営業時間ということもあったのだが、何か違う意味で意地になっていたような気がする。
    今となっては知る由もないが。。。
    ただ、一度だけ顔を出してくれたことがある。
    「ハイタイド・ハリス」という黒人のブルースマンに出てもらった時、”レコード持ってるんだよね”と少しの時間だけ見に来てくれたのだった。
    その時一緒に出ていたのが、今回のミュージックライン千住で、元「ぎんぎん」のブルームダスターカンを紹介し、共演もしてくれる石川二三夫であった。

    この「バーボンストリート」をいろいろな事情でやめた時も、マスターには本当に力になってもらっている。

     

     

     

    トイレにずっと居た”リンゴスター”、左上には「BAT→BUT」の落書きが。

     

    1997 頃

    この頃、島津は再びライヴハウスをやろうと動き出す。
    場所は千住旭町、かなり広い物件を見つけ、「夢来館」からの仲間、ヒロミ氏にも工事を相談するなど具体的に話を進めていたが、結局、家賃などの交渉が最終的にうまくいかず、諦めざるおえなかった。
    ただ、呑んだくれマスターがいつかまたライヴハウスをやるつもりだと言う言葉どおり、具体的な行動を起こしたことに新鮮な驚きを憶えたのだった。。。

     

    2000.3.21 早朝

    島津貫司は突然逝った。
    いつものように店を閉め、自転車で南千住の自宅に帰る途中、千住大橋の手前で交通事故にあったのだ。


    通夜、告別式には本当に多くの人たちが参列した。
    いろいろな時代の、その仲間たちが。
    「甚六や」の店自体、うまくいっていたとはとても思えなかったが、本当にたくさんの人が弔問に訪れたのだ。

    そして棺に花を手向けるその時、ザ・バンドの「ラストワルツのテーマ」がラジカセを持参した有志によって流れされた。
    その音はその場に静かに鳴り響き、空気を悲しいものから厳粛なものへと変えたような気がした。
    いよいよ出棺、その時「アイシャルビーリリースト」が、静かにそして力強く流れ始めたのだった。

    すべて有志たちの手で行われた「送る会」は、かけがえの無い特別なものとなった。
    皆の気持ちがひとつとなって、ひとつのことをやり遂げる、それはわずかな打算のかけらもない、本当に無垢で純粋なものだった。たくさんの人間が皆で協力し合い、それぞれに出来る限りのことを自然にしていた、しごく当然のことのように。

    本当に奇跡だった。。。

    それは音楽をとことん愛して逝ってしまった者の、最後のプレゼントだったのかもしれない。

    「甚六や」はすぐに閉店になったわけではなく、常連客数人が一ヶ月間日替わりでマスターを務め、店を続けた。
    それは自分たちなりに気持ちを整理するためのものでもあったが、できれば店は続いて欲しいという願いも少なからずあったと思う。
    そして常連客だった若い一人が店を引き継ぐことに名乗りを挙げたのである。

    しかし、それから約一年後、「甚六や」は閉店することになる。
    店を存続したこと、きっとその若いマスターと亡くなった島津の奥さんにとって、それはとてもつらいことだったのかもしれない。


     

    その後、、、、

    継承

    ざっと「甚六屋」とそれに関る物事を追ってきましたが、もしかしたらこのような出来事はどんな場所、いつの時代でも、繰り返されることなのかもしれません。
    ”夢来館”のポスターの中でこう宣言されています。
    「現在の社会で要求されているものは打算的な人間関係ではなく、赤裸々に語り合え、深い信頼の元に生まれる人間関係であろう。」と。
    これは今の時代にこそ必要なことなのかもしれません。しかし普遍的に変わらないものだとも言えます。
    いつの時代も、人との関わり合いから希望が生まれ、希望から人との関わり合いが生まれる。
    そしてつながっていくのです、ずっとずっとそれは永遠に。

     

    あとがき

    出来る限り誠実に作ったつもりではありますが、限られた時間の中での取材、またかなり昔の事柄なので、実際とは食い違う箇所も多々あるかもしれません、どうかご容赦ください。
    そして今回のミュージックライン千住Vol.3「甚六屋トリビュート」の開催と共、多くの関係者の方々にご協力いただきありがとうございました。
    特に、、尾口氏、島田氏、やす子さん、ヒロミ氏、藤井氏には貴重な時間を割いていただきありがとうございました。
    そしてヒロコさん、申し訳ありません、本当に本当にありがとうございました。

    そして最後に島津貫司氏と、22日亡くなった父に、感謝を。      2006.3.14

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